日本の女性社会進出、起業の歴史を知る

原始、女性は太陽であった

この項のタイトルは、平塚という女性活動家が明治時代に記した文の冒頭の言葉です。
日本において、女性は常に虐げられているばかりの存在ではなく、女性の天皇や女王もいましたし、朝廷や歴代幕府の内側ではなかなかにハードな権力争いを繰り広げていたりしました。
しかしそれは、あくまでも歴史の「裏側」の話であり、実質的な社会的権力や「表の顔」の地位は、男性が握っているという現状は変わりませんでした。
明治維新以降、西洋の人権思想などが知られるようになると、様々な女性活動家が、参政権や社会進出、地位是正などを求めて活動を開始、さまざまな挫折を経つつも、戦争を生き延び、戦後の女性の活躍を思想的にリードしていくのでした。

日本の女性の社会進出は戦後から

戦時中、活動家が、女性の社会進出の一つとして、戦争への協力などをしていましたが、敗戦という結果により、それも無に帰しました。
流れが変わったのは、朝鮮戦争の頃でした。
日本は事実上の後方として米国から捉えられ、工業生産の活発化を命じられ、インフラが急ピッチで整備されていきました。
働き手が多数必要となり、その中には女性も多数含まれていました。
更にコンピュータなどの導入で、そうしたものを操作できる女性たちも必要となっていきました。
また、それまで日本の方針であった家父長的制度も廃止され、女性が結婚するのも出産するのも、仕事を続けるのも基本的に自由であることが方針として定まったことも、女性の社会進出を後押ししました。
つまり、女性の社会進出が日本で意識されたのは、まだ60年ほどのことなのです。


この記事をシェアする